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KOBE TRAIL

イメージとは程遠い自身のパフォーマンスに、苛立ち、呆れながら、なんとかフィニッシュ。

17位。トップとは20分差。

日本人に有利なコースと言っておきながら惨敗。恥ずかしすぎる。

応戦してくれるファンのみんな、日本開催ということで僕にフォーカスしインタビューや事前撮影をしてくれたGTWS、遠くまで応援に駆けつけてくれた家族。

全ての期待に応えられずただただ悔しく、今もまだ整理がつかないでいる。

KOBE TRAILに向けて

確か昨年末、もしくは年始にGolden Trail World Series 2024の日程が発表され日本での開催がアナウンスされた。

時差や食文化など、すべてにおいて日本人が有利。必ず結果を出さなくてはならないと思った。

惨敗した今となっては言い訳にしかならないが、レースまでの取り組みを分析する上で必要なことなので、KOBE TRAILまでの流れを書き出していく。

昨年12月、Kosciusko Ultra Trailの100kmを走り終え、1週間の休養ののち練習を再開すると右のアキレス腱に痛みが生じた。年末年始は悪化しないよう慎重に練習をせざるを得なかった。

1月、Hong Kong 100の56kmのレースに出場予定があり、アキレス腱の痛みは回復傾向にあったが、10月頃から気になっていた左の足底の違和感が香港へ発つ直前に爆発。

なんとか完走するもその後も足の甲を痛めたりで、2月下旬まで思うような練習ができないでいた。

本来であれば1月に距離を踏んで2月に登りの強化、3月はスピードを養ってシーズンインする予定が2月末からのスタートとなり、かなり焦りと不安があった。

KOBE TRAILを迎えるころには昨年の同時期と比べ物足りなさも感じていたけれど、やれることはやってきたしあとは自分を信じて走るだけだった。

ただレースを終えてみて思うことは、3月か4月頭にレースを1本走っておけばよかったと思うし、3月末の阿蘇合宿以降、平地や登りの感覚は良い一方で下りで体が浮いてしまい、ボディコントロールがうまくいかない感覚がレースにかなり影響してしまったと思う。阿蘇合宿前にコースを試走した時のほうが上手く下れていた。

重心が高くスピードに乗れていない

レースを終えて

KOBE TRAILは日本のトレイルランニング業界において革新的な大会だったと思います。
欧州ではすでにTV中継やパブリックビューイングをしている大会が多くありますが、トレイルランニングが「見る」スポーツとしてのポテンシャルを示せた大会になったと思います。
「見る」スポーツとしての側面があることで、より多くの人に、例えば走らない人にもこのスポーツの魅力が伝わり、観客や視聴者が増えれば広告効果も高まり、このスポーツへ投資する企業も増えることでしょう。
それに伴い日本のトップトレイルランナーの待遇にも変化が起こることが考えられるし、競技人口も増えればスター選手が誕生する可能性も高まります。

今回は4つのループで構成されるコースで、3〜5km毎にスタート地点に戻ってくるので、観客は順位変動に一喜一憂し、選手は戻って来る度に沢山の応援が力になったかと思います。スタート地点以外のところにも沢山の応援の人がいてとても嬉しかったです。

グレートレースでよく知られるウルトラトレイルのドラマチックな展開ももちろん魅力的ですが、ショートレースならではのスピード感やテクニック、ダイナミックさ、1秒を争うハラハラ・ドキドキ感がこの大会を通して多くの人に刺さってくれたら嬉しいです。

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